2cv誕生のいきさつは、1930年代初頭にさかのぼる。 当時、フランスの田舎町では人々の移動の手段といえば、自転車か馬、あるいは荷車がまだ主役であった。 1935年夏、別荘でのバカンスのため、南フランスのクレルモン=フェランの郊外へ赴いた、当時のシトロエン社の副社長であったピエール・ブーランジェは、「とても安く、シンプルなメカニズムを持った、タフな車があったら、絶対に彼らに受け入れられる」と確信した、と言われている。 当時の社長、ピエール・ミシュランの指示をとりつけたブーランジェは、モーリス・ブロリー/チーフエンジニアに、「コウモリ傘に4つの車輪をつけたもの」の設計を具体化するように指示した。 具体的には・・・・ - 50kgのポテト又は樽を積んだ田舎者(*注1)が作業着のまま乗れること
- 60km/hで走行できること
- 3Lのガソリンで100km走れること
- 荒れた農道を走破できること の条件を満たす車の開発だった。
さらに・・・・・、 - その田舎者がカゴいっぱいに卵を積んで荒れた農道を走ったとしても、1つも卵が割れないほど快適で、乗り心地がよい事
- もし、必要とあれば、奥さんでも簡単に運転出来ること
- スタイルは重要ではない
- 販売価格は11CVトラクション・アバンの1/3であること
という項目も付け加えられた。
これらの要求はシトロエン社の設計チームがフランス中を5ヶ月かけて、約1万人の潜在ユーザーである田舎者からの極秘市場調査の結果だった。 このような市場調査はトラクション・アバンの時にも行われ、PV(Petite Voiture=小さい車)プロジェクトとして7CV開発計画が進められた。 TPV (Toute Petite Voiture=とても小さな車)プロジェクトと名付けられた2CVの開発計画がスタートした 注1・・・手元の文献(複数)すべてにおいて、”農民”ではなく、”田舎者”と表記されている |