2CVと過ごす週末・・

TPVプロジェクト・10
軽量化と二律背反

 1943年、ボンネット左側に取り付けられていたヘッドライトは、エンジニア/オズの主張した中央部にヘッドライトを組み込み、グリルを省略した新設計のデザインになった。

 このサイクロップ(ギリシャ神話の1つ目巨人)デザインは、とても不格好だったため改良が必要になり、ベルトーニはピエール・ブーランジェが1939年に採用したTPVのデザインよりは、いくぶん格好悪くない何種類かのスケッチを描いた。

↑テストコースを走るサイクロップTPV

ベルトーニのスケッチしたサイクロップTPVのボンネット・デザイン案。→
いくつかのプロトタイプは、このデザインを元に製作された。

 テスト・ドライバー達は、シングル・ヘッドライトTPVの夜間極秘公道テストで、いつも対向車にバイクと錯覚され、幾度となく死にそうな目に遭い、「乗りにくい」と不評だったため、一般的な2灯式に改められた。

 また、ラ・フェルテ・ヴィダムでの極寒での夜間テストで、簡素な構造のTPVのテストドライバー達を凍死から守る目的で、エギゾースト・マニフォールドからの暖気を助手席に引き込むダクトも追加された。
これら諸々の追加装備のために、車重は400kgを越えてしまった。

 ピエール・ブーランジェは開発に携わっているエンジニア達に、可能な限り簡素化し、各パーツを極力”小さく””軽く””薄く”するように指示した。
”中空ボルト”を使用し、各ボルトの重さを半減する案も提案された。

アクセル・ペダルはナイロン縫糸によるハンド・コントロール、という徹底的に軽量化された試作車が完成したが、「軽量化」と「ボディ剛性の確保」の相反関係を痛感させられただけだった。
ピエール・ブーランジェは部下のエンジニア達に指示した1935年オリジナルTPVのコンセプトに沿った「軽量化された自動車」の開発、当初の可能な限り装備を取り除き、軽量化する」ことは無理、と諦めはじめていた。

 紙と竹も車体の構造材として採用する事も提案された時、ピエール・ブーランジェは挫折を認めざるを得なかった。
にもかかわらず、フラミニオ・ベルトーニがコーチビルダーに製作を依頼し、完成して実際にラ・フェルテ・ヴィダムでテストされてる、スタイリッシュなプロトタイプでも、重量増につながる美学や、車体の外観に関わるものは排除していった。

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