2CVと過ごす週末・・

TPVプロジェクト・11
パリ・サロン

 TPVのテストは最終局面を迎えていた。

 ピエール・ブーランジェは、ワルテル・ベッキアに475ccエンジンも設計するように指示したが、燃費が悪化する、という理由により撤回された。   
また、同時にリサーチ・チーフのヌガルーに375ccエンジン・ユニットのフーエル・インジェクション・システムの開発を指示した。   テストカーに取り付ければ、最高速度は80km/hになるはずだったが、生産される事はなかった。

 1948年2月、秋に開催されるパリ・サロンでTPVを発表する事になった。
ピエール・ブーランジェは生産にゴー・サインを出し、”シンプルな車にはシンプルな名前”、という事でTPVを2CVと名付けたい、と思っていた。

 ピエール・ブーランジェはほんの少し改良を加えた。
戦争時からクランク・スターター・ハンドルを採用していたが、安価、軽量、シンプル、との理由により、芝刈機式プル・スターターを車内から操作する戦前の方式を再採用し、少なくともショー・モデルの1台に装着されていた。  しかし、このアイディアも、プロト・タイプを使ったシトロエン社内のテストで、招待された秘書達が相次いで爪を剥がし、パニックとなってしまったため、採用は見送られた。

ピエール・ブーランジェは、通常のスターター・モーターを大至急装備する決定をしたが、ワルテル・ベッキアは
何年も前からスターター・モーターの装着を前提にエンジンの設計をしていたので、簡単にスターター・モーターを装着できたのだった。

 1948年10月7日パリ・サロン当日、3台の2CVは、シトロエン社のブースでヴェールに包まれ、フランス大統領/ヴァンサン・オリオールのオフィシャル・オープニングを待っていた。
ピエール・ブーランジェが誇らしげにヴェールを剥がすと、会場に衝撃が走った。

事実、パリ・サロン直前の9月に行われたシトロエン・ディーラーの内見会でも、2CVは理解されていなかったのだった。

ジャーナリスト達は「シトロエンの失敗作」と書きたてた。

唯一スイスのレビュー・オートモビル誌だけは「世界を席巻する車がデビューした」と2CVを評価した。

この時、シトロエン社は本格生産に向けて観衆の反応を調査し、生産計画を立てる予定だったが、パリ・サロンの期間中、のべ13万人がシトロエンのブースを訪れ、数年分のバックオーダーを抱えてしまった。

翌年1949年6月、若干の変更が施され、一般に販売が開始された。
 

おわり

パリ・サロンに搬入される2CV(上)と
パリ・サロンの2CVブース(下)

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