TPVのテストは最終局面を迎えていた。
ピエール・ブーランジェは、ワルテル・ベッキアに475ccエンジンも設計するように指示したが、燃費が悪化する、という理由により撤回された。 また、同時にリサーチ・チーフのヌガルーに375ccエンジン・ユニットのフーエル・インジェクション・システムの開発を指示した。 テストカーに取り付ければ、最高速度は80km/hになるはずだったが、生産される事はなかった。 1948年2月、秋に開催されるパリ・サロンでTPVを発表する事になった。 ピエール・ブーランジェは生産にゴー・サインを出し、”シンプルな車にはシンプルな名前”、という事でTPVを2CVと名付けたい、と思っていた。 ピエール・ブーランジェはほんの少し改良を加えた。 戦争時からクランク・スターター・ハンドルを採用していたが、安価、軽量、シンプル、との理由により、芝刈機式プル・スターターを車内から操作する戦前の方式を再採用し、少なくともショー・モデルの1台に装着されていた。 しかし、このアイディアも、プロト・タイプを使ったシトロエン社内のテストで、招待された秘書達が相次いで爪を剥がし、パニックとなってしまったため、採用は見送られた。 ピエール・ブーランジェは、通常のスターター・モーターを大至急装備する決定をしたが、ワルテル・ベッキアは 何年も前からスターター・モーターの装着を前提にエンジンの設計をしていたので、簡単にスターター・モーターを装着できたのだった。 |