2CVと過ごす週末・・

2CV個人輸入の記録 Vol.1
前オーナーと1955年式2CV

こちらのページは、1993年にシトロエン2cvを個人輸入した時の記録です。
内容は事実に基づいておりますが、1993年当時の記録であり、業務としての輸入ではありません

 現在、私の手元にある1955年式2CV(型式AZ)はイギリスから個人輸入し、自分で陸運局に持ち込みナンバーを取得しました。
購入のいきさつから車検取得に至るまで、通関業務以外はすべて自分で行った経験の記録です。
 

 私の2CVの前オーナーのルイーズ嬢とのつきあいは1987年までさかのぼります。
1987年当時、
2CV生産中止反対運動が行われ、2CV/GBでは購入した新車の2CVを一旦バラバラにしてボディパーツを世界各国に送り、各国で生産中止反対の署名を書き入れ、返送された署名入りボディーを組み付け、生産中止反対の署名入り2CVをシトロエン社に置いてくる、という計画がありました。
 当時2CV/GBの主力メンバーだったルイーズ嬢が日本担当として、当時私も所属していたCCJに手紙を送ったことから始まります。当時CCJの海外のクラブとの窓口になっていたのはH氏でしたが、2CVオーナーでなかったので、私が日本の窓口になりました。

 日本には2CVのヘッドライト・シェルが送られ、生産中止反対活動に賛同いただいた2CVオーナーの方々に署名していただき、義援金と共に署名入りヘッドライト・シェルをイギリスに返送しました。世界中から生産中止反対の署名が書き込まれた2CVはフランスのシトロエン社に寄贈され、いまでもシトロエン社に保管されている、との事です。
2CV生産中止反対運動が終わった後は、個人的にルイーズ嬢と手紙のやりとりをするようになりました。

 1992年、ルイーズ嬢から1通の手紙が届きました。
彼女の1955年式2CV、日本で誰か欲しい人がいれば、売りたい・・・・・と。

 その頃はまだ円安・ポンド高で、彼女の提示した12000ポンドという価格は、当時の円換算で、車体のみの価格でも300万円を越え、船代等含めるとかなり高価な価格でした。
       (イギリスから 届いたお見合い写真→)

 当時はまだ海外との通信は手紙か電話がほとんどで、個人輸入なんて言葉も一般的ではありませんでした。日本では2CVといえどもパーツの価格は高く、しかも古い2CVのパーツを国内で調達するのは、ほぼ絶望的で、パーツを個人で輸入できることすら、一般的にはあまり知られていなかったのです。
そんな時代でしたので、1950年代の2CVを所有するなんて、私にとっては夢物語でした。

 1992年、イギリス中部のStratford on Avonという町で開催されるC.C.C.(Citroen Car Club)のミーティングにあわせイギリスに行き、またルイーズ嬢の自宅も訪問し、フランスで行われた「第8回インターナショナル2CVミーティング」の”1962年以前の部”で優勝した彼女の1955年式2CVを見てきたのでした。フル・レストアが終了した直後でもあり、状態は極上のコンディションでした。

 英語の読み書きが苦手なこともあり、この頃から、国際電話で話をする事が多くなりました。
全く買う気のなかった、彼女の1955年式2CVを個人輸入するきっかけになった発端は1本の国際電話・・・。
ルイーズ嬢との電話でのやりとりでした。

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