2CVと過ごす週末・・

TPVプロジェクト・8
3つの構造変更・ギアボックス

 1944年、ワルテル・ベッキアの空冷エンジンの試作エンジンは1944年9月、パリがドイツ軍から解放された直後テストに移されたが、このころまで、TPVは3速ギア・ボックスを搭載していた。

ワルテル・ベッキアはエンジンにあわせたギアボックスの開発をあきらめることが出来なかった。

 ピエールブーランジェは、ワルテル・ベッキアの職場へ結果報告を聴きに来た時、承認されていない新型4速ギア・ボックスが存在している事に気が付いた。

 先代のシトロエンは全て3速ギアボックスが採用されており、4速ギア・ボックスは構造が複雑になり、”運転に習熟していない農民の夫人が容易に運転できる”、というコンセプトに照らし合わせてみても、4速ギア・ボックスの採用は承認されていなかった。

  ワルテル・ベッキアは、ピエール・ブーランジェの怒りが収まるのを待って、「このギア・ボックスは3速であり、4速はオーバー・ドライブである」と説明した。

 最終的にワルテル・ベッキアの主張が承認され、4速ギア・ボックスには販売戦力の都合上、”3速+オーバードライブ”という扱いになり、初期型2CVのギア・シフトには”4”の代わりに”S”(Surmultipliee=オーバー・ドライブ)と表示された。 

「4速はオーバー・ドライブである」という事を、ギア比で証明するとすれば、1.47:1というギアレシオは厳密にはオーバードライブとは言えないが、実質的には”オーバー・ドライブ”であり、375ccエンジンが4速で到達する最高速度は、3速より遅かったが、エンジンの回転を著しく低く押さえる事ができた。

1944年、フランスはドイツから解放され、ピエール・ブーランジェはTPVの本格生産を始めたかったが、プロジェクトはまだ大きな問題を抱えていた。

←初期の2CVのエンジンと
    ギア・ボックス

2CVのシフト・パターン表示

425cc 2CV

1970年2月以降(2CV/4・6)

1960年代半ばまでの425cc 2CVでは3速〜4速は3速経由でしかシフト・チェンジできない仕掛けが施されていた。

  アルミニウムとマグネシウムの採用は断念していたので、溶接技術とコストの問題は解決していた。
また、ワルテル・ベッキア設計の優秀な空冷エンジンも搭載できる事になった。

だが、サスペンションが大問題を抱えていた!  

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