2CVと過ごす週末・・

TPVプロジェクト・9
3つの構造変更・サスペンション

  高価なトーション・バー方式の代わりに、前後を2個のコイル・スプリングを介して関連させるTPVのサスペンションは、アルフォンス・フォルソーの提案によるものだったが、ロード・ホールディング性能が平均水準に達していない事が判明した。

 プロト・タイプのサスペンションは、タイヤ/ホイールの挙動収束性が悪く、ホイール・ピッチングのため、絶えずバタついて振動していた。
当時、ダンパーは上流階級の人々の乗る数多くの高級車に装着されていたので、ピエール・ブーランジェはTPVには相応しくない、と装着を認めていなかった。

3つ目の大きな変更がサスペンションに施された。

 シトロエン車のライバルと同じ苗字の若いエンジニア、レオン・ルノーは、各ホイールの裏に、”重り”と”スプリング”を使用し、ダンパー機能を持たせた新しいサスペンション・システムを設計していた。
しかし、実際に装着する前に戦争で破壊され、プロトタイプは全てマウントを装着されておらず、実際にテストされていなかった。

 忘れていた記憶を思い出したルノーは1945年、自分の考案した新システムを再設計した。

 それは一種のダンパー(慣性ダンパー)であったが、ルノーはピエール・ブーランジェをだますために”Batteurs”(英 Beaters/Threshers=かくはん器)と名付けた。

原理は各ホイールの裏側に取り付けられた、”重り”の乗った”スプリング”が、慣性の法則でホイールのバタつきを相殺する、というものだった。
それはTPVが直面していた、挙動収束性の悪さからくる”ホイールピッチングの問題”を解決するものだった。

しかし、そう長くピエール・ブーランジェをだまし続けることは出来ず、テスト・ベンチの慣性ダンパーを見たピエール・ブーランジェは、禁止を命じた。

不本意であったが、レオン・ルノーは怒りながらも同意した。

 だが6ヶ月後、レオン・ルノーの考案した慣性ダンパーは、20kgもの重量増を招くにもかかわらず、ピエール・ブーランジェの承認を得て1947年、プロト・タイプ車に採用された。

このシステムは、1975年9月まで実際に2CVに使用された。

 終戦後、TPVの開発は加速していった・・・・・。

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